きれいでないものを

自分がみたものをただ書くことのあまりのむつかしさに困惑している。定型文ばかり書いていた報いだと思う。また、ついつい、きれいなものばかり書いてしまう。文章の良いところは、どんなにきれいでないものもよろしくないものも書いたら文字の並び、言葉の流れになることで、だから丹念にきれいでないことを連ねたものがかえって美しい。また、きれいなものをそのきれいさを伝えるには「きれい、きれい」と喜ぶばかりではなく、描写をしなければいけないのだがそれがまたむつかしい。

遠回りの習慣

私が引っ越しときにまず最初にやることのひとつに、通っていて楽しい通勤路を見つける、というのがある。

今の家から職場までの道のりは、小川沿いのアップダウンのある小道を走り、緑の深い山影を抜け、果樹園のある住宅街を横目に、大きな川沿いの道をゆく。合間合間に、マンション、お屋敷、古びたアパート・・・などいろんな形の家を見る。

だけどこれはかなり遠回りのルートだ。家から職場までは大きな道路が1本まっすぐ通っているので、そこを走れば単純に距離としては1キロくらい短くなる。でもそのルートはいわゆる道路で、車の数が多いのでちょっとストレスフルだ。

以前の家から職場までの道のりは大通り沿いだったけど、途中お堀と大きな川があった。その前は、疎水沿いの住人が丹精した庭を身ながら通勤していた。

こういうのは最初が肝心で、最短ルートに慣れてからだと、いくら景色が良くても遠回りをする気にはなれなくて(20分で着くところを、30分かけて・・・とかつい考えちゃうから)、やっぱり最初に楽しい道中を見つけておくことが大事なんだと思う。

4月の終わりから5月の中頃にかけては、緑の芽吹きが本当にきれいだ。晴れた日など、豪奢なアクセサリーみたいだなと毎年思う。これからの季節は蛍も飛ぶし、私の一番好きな花、いろんな形の紫陽花がそこらじゅうで咲き乱れる。笑っちゃうほど寒いけど、真冬の枯れた川辺の景色もいとおしい。

つらいときや疲れているときはこれらの景色を見る、そのためだけに生きていると、正直何度も思った。また、元気なときは、これらの景色とともに生きていることに感謝する。

誰かと住むことについて

ある日、同居人が家を出て別々に暮らしたいと言ってきた。すぐにでも出たいと言われ、答えを迫られたので、3日間ほどで慌てて色々調整して了承したが、向こうからの動き(いついつ引っ越すという知らせ)はまだ無い。私には答えを早く早くと迫ったくせに、わがままな人だなあと思うが、色々と悩んでいるようだし、わがままはお互い様というか、日々の暮らしにおいては私の方が圧倒的にわがままなので、たまにはもう少し待ってみることにする。

1人で暮らしたいという気持ちはまあ分かる。特に家をアトリエとする場合はそうだろう。台所やお風呂など、共有スペースの扱い、一緒にご飯を食べるかどうか、いちいち逡巡するのもいやだというのも、まあ分かる。その上で、私は誰かと住むということはとてもいいことだなあと思っていたので、向こうはそうではなかったのはちょっと残念だ。残念だが、こればっかりは仕方ない。お互いにとってベターな距離でやっていくのが一番だ。

今住んでいる家は窓から見える景色がきれいなのでとても気に入っている。職場まで通勤ルートも過去最高にきれいなので、ここを出なければならないのは残念だが、1人で住むには広すぎるし、家賃も高い。

次はどこに住もうかなあと考えていたら、友人から、ある方が改築したとても良い家があり、住む人を探している・・・という話を聞いた。持ち主の方をご紹介いただき、さっそく見学にうかがったら本当に素敵なところで、各種条件もまるで私のためにあるかのようで、とても心が動いている。(どれくらい素敵かというと、ここに詳細を書くと他の人に取られそうなので書けないほどだ)。

持ち主の方は、住むとか暮らすとか、そういうことについてとても丁寧に、長いスパンで考えられていて、そのことにも感銘を受けた。生きるということは、生活するということ、と書いたのは梨木香歩だけど(『からくりからくさ』)、たぶんこういうことを指していたのだなと思った。

私たちはゆるやかに価値を交換している(と考えてみる)

今日、「Pay it forward / 恩送り」という言葉を教えてもらった。誰かに価値あるものをもらったら、それと同じだけのものをもらった相手に返すのではなく、別の誰かに渡そう。ざっくりいうと、こういう意味らしい。また、誰かに与えたものは、めぐりめぐって形を変えて自分にも返ってくる、という風にも捉えられるようだ。

商取引における価値の等価交換を否定するのではなく、より広い範囲と長いスパンでとらえなおす。さらに、取引において重要である、何と何が交換されているのかを確かめることを重要視しないというのがこの考え方の特徴だ。

これは、行為ではなく、行為に対する考え方いう意味でとても面白い。この考え方には、生きていくのが楽になるという観点から少なくともふたつメリットがあるように思う。

ひとつめ、自分がお金を払うときに、価値の等価交換がその場で、あるいは同じ人たちの内で成立するよう身を砕く必要がなくなる。お金じゃなくて、時間とか、労働とかでもよくて、とにかく何かを費やすときに、要は「不公平だ!」と目くじらを立てずに済むようになる。

ふたつめ、誰かからいただいたものを、同じ流れの中でで社会に還元しなければいけないと焦る必要がなくなる。たとえば何かの教えを受けて、必ずしもそれが次世代や周囲に伝えることができず、自分のところで消えてしまったとしても、自分を責めすぎる必要はない。価値は、消えたのではなく形を変えたのだ。そして自分は実は誰かに全然違う形で伝えている。これは曲解が過ぎるだろうか。

「金は天下の周りもの」や「情けは人のためならず」も近い言葉だが、「Pay it forward / 恩送り」の方が、なぜか時間軸がより曖昧になっている気がする。先の説明と矛盾しているけど、誰かにあげた時点で、同時に全然別の誰か(特定の個人ではないと思う、もっと社会とか世界からもらっている。うーん、つまり「生かされている」という実感、ということだろうか。

そうそう、Pay it forwardと恩送りを同じ意味として並べて書いたが、この2つに含まれている言葉の違いも興味深い。Pay it forwardは、自分が払うところからスタートしているのに対し、恩送りの方は、自分がもらった恩、というところがスタートになっている。

夜書いた手紙は朝見直した方が良いというけれど

眠い。眠いのに何か書きたくて、布団にPCを持ち込んで、キーボードにつっぷすようにして文字を打っている。10時台なのにこんなに眠いのは昨夜小説を読んでたら止まらなくなって夜更かししたせいだ。(まったくなんであんな怖い本を読んじゃったのか、しかも下巻があるのだ。どうしよう。多分買ってしまうんだろうな。)

だんだんと目が覚めてきた。夜中に文章を書くのは実はちょっと好きだ。大抵つまらないことばかり書くんだけど、つまらないことがほとんどなのは昼に書くことだって同じ。

夜書いた手紙は朝にもう一度読み直すこと、というのはよく言われるけれど、なんで朝の自分が正しいという基準なんだろう、と思っている。朝の方が慎重かもしれないけど、正しさに関して言えばどちらに分があるかは分からない。朝までアウトプットを待ったせいで、私の中で「無かったこと」になったことはたくさんあるような気がする。夜は思いついたことを書くのに躊躇しないので、書きたいことがあるときは朝を待たずに書いた方が良い(ただし、他人の悪口と何かの批判は別だ。朝昼に読む人を傷つけるかもしれない)

それだけじゃなく、夜の感覚というのは昼とは違う部分があるので、意識してみるととても面白い。そのほとんどは疲労が原因だと思うんだけど、疲労とフローは紙一重だと常々思っていて(語呂がいいな・・・)、普段はひっつかない点と点の出来事が結ばれるのは大抵夜だ。まるで星座のようだ。星座も、そもそも全然無関係の星同士を線で結んで絵にしているのだから、作り方としては全く一緒だ。うまくいくと、そこに面白い物語があとをついてくる。

あと、これはもう10年以上ずーっと不思議に感じているんだけど、午前0時を過ぎたあたりから、自分の絵や画集の絵が輝きだすように見えることがよくある。好きな画集の絵なんて、絵の具が立体的になって色が迫ってきて、もう陶酔するような美しさ。

自然光と人工光の違いかな、とか先の疲労とフローの関係かな、とも思っているんだけど、私の中でその変化があまりに劇的なので、他の人はどうなんだろうと気になっている。また、深夜の美術館とか行ったら一体どうなるのかも気になっている。

風に向かって歌う

子供の頃、ドライブ中はいつも窓を全開にして、カーステレオから流れる曲に合わせて、顔中に吹きつける強風に向かって歌っていた。

最近は自転車をこぎながら歌っていることが多い。はじめは、冬の自転車通勤があまりに寒いので、つらさを紛らわすためにマフラーの中に顔をうずめて小声でぼそぼそ歌っていたのだが、以来すっかり癖になってしまい、暖かくなった今も続けている。

自転車をこぎながら歌う場合も、風の中で歌うことになる。耳元でボゥボゥ吹いている音や、顔や腕に受ける風圧と、自分の喉や口の中の振動を一緒に感じている。

もしかしたらそのことと関係しているのかもしれないけど、音楽を聴く場合も、私にとっても心地よいのは、その曲だけが単体で聞こえてくる状態ではない。例えば静まり返ったコンサートホールで聴く演奏や、ipodyoutubeをイヤホンで聴くのは、嫌いではないけれどそれほど心躍る体験ではない。それよりも、2階の自室にいるときに父が階下で鳴らすクラシックや、図書館で本を読んでいるときに離れた校舎から聞こえる吹奏楽サークルの演奏、川辺でアカペラ練習をしている人たちの歌声、のような、遠くからかすかに聞こえてくる音楽に耳を澄ませるときが幸せを感じる。

音源と自分の距離と、自分の意志とは関係なくふいに聞こえてくる福音っぽい感じがミソなのかもしれない。また、音楽は耳と脳だけで感じるものではない、ということなのかもしれない。専門外すぎてわからない。

遠くから聞こえる音楽について書いた文章で、とても印象的なのが、村上春樹の『スプートニクの恋人』に出てくる。彼の書いた小説の中で、私はこのシーンが圧倒的に好きだ。夜、どこかから聴こえてくる音楽で目を覚ました主人公が、ギリシャの月夜を彷徨うシーンだ。引用しようかと思ったけど、本を開いたら意外と長かったのでやめておく。

 

 

荷物を降ろす

過去数年の手帳の整理をした。整理というか、パラパラとめくって、過去のものから重要だと思う項目を今年の手帳に移す作業をしたのだけれど、以前と較べて、ここ1、2年の私の書くことがものすごく「俗っぽく」なっていることに少しショックを受けた。いや、日々の予定を書くのだから世俗的になるのは当然なのだけれど、それらの奥にある自分にとっての重要事項、大きな目標みたいなものが、どんどん矮小化しているのに気づいたのだった。ここ数カ月の、焦りを伴う息苦しさはここにも原因があったか、と溜息が出た。溜息の内訳は悲しみ半分、ほっとしたのが半分といったところ。

2015年(プライベートで手帳をつけはじめた年)の手帳には、ゴールという文字の下に「美しい絵を描き続ける」と書いてあった。その下にはおそろしくいい加減な人生計画が続くのだけれど、でもこのときの私には人生のゴールは明確だったのだ。ああ、そうか、そうだったんだ、3年前の私は何よりもそこを大事にしていたのだった。ものすごく漠然としているし、どうやって生きていくかの具体的な指針を導き出せない、ある意味で幼稚な目標だけれども、その代わり、今後どう人生が転んでも持ち続けられる目標でもある。貧乏になってちょっと生活が苦しくなっても、それであれば良いと、私は思っていたのだった。そして、今もそう思っている!と気づいたとき、なんだか楽になった気がした。

この3年間、それまであまり縁のなかった教育の世界にちょっと首をつっこんでみて、あまりに優秀な人が多いので、そして、あまりに人格者が多いので、私は彼女たちになんとかついていこうと、そしてなんらかの形で頭角を現そうと必死だった。でも、急な進路の変更は、自分に足りないものをつきつけられる日々でもあり、私は徐々に焦りを感じだした。

もちろん、得るものはすごく大きかった。少しずつ鍛えてもらって、人前で話せるようになってきたし、学生と自然に会話ができるようにもなってきた。少しだけだけれど、論理的に考えたり、論理的な文章を読んだりもできるようになった。何より今まで縁の無かった人とたくさん親しくなれた。間違いなくかけがえのない財産だと思う。私はできることなら、その財産を直接的に仕事に生かしたかった。だって、そうじゃないとこの日々はなんだったんだ、となってしまう。あんなにいっぱいもらったのに、評価もしてもらえたのに、それがどこにも行けないなんて・・・。

今でも、仕事に生かせたらいいな、という気持ちは強く持っている。だけど、じゃあどの分野で生かしたいか、と考えると、ここ数カ月考えてみても、どうしても絞ることができなかった。なんというか、どれも面白いし、勉強したいけど、誰にも負けないレベルで努力できるかというとそんな自信はないのだった。そもそも、誰にも負けないレベルで、なんてことを本当は考えたくない。でも、就職や進学のことを考えると、そういう考え方になってしまう。

そういうことの繰り返しに、少し疲れてしまった。

だからやっぱり画家になる、とかそういうことでもなくて、教育業界から遠ざかる、とかそういうことでもなくて、ちっぽけな我欲とそれを満たそうとして生じるストレスから、少し距離を置かねばならないのだと思う。ここに囚われていると、たぶん私の人生は惨めなことになっていくだろうという、そんな予感がしている。