私たちはゆるやかに価値を交換している(と考えてみる)

今日、「Pay it forward / 恩送り」という言葉を教えてもらった。誰かに価値あるものをもらったら、それと同じだけのものをもらった相手に返すのではなく、別の誰かに渡そう。ざっくりいうと、こういう意味らしい。また、誰かに与えたものは、めぐりめぐって形を変えて自分にも返ってくる、という風にも捉えられるようだ。

商取引における価値の等価交換を否定するのではなく、より広い範囲と長いスパンでとらえなおす。さらに、取引において重要である、何と何が交換されているのかを確かめることを重要視しないというのがこの考え方の特徴だ。

これは、行為ではなく、行為に対する考え方いう意味でとても面白い。この考え方には、生きていくのが楽になるという観点から少なくともふたつメリットがあるように思う。

ひとつめ、自分がお金を払うときに、価値の等価交換がその場で、あるいは同じ人たちの内で成立するよう身を砕く必要がなくなる。お金じゃなくて、時間とか、労働とかでもよくて、とにかく何かを費やすときに、要は「不公平だ!」と目くじらを立てずに済むようになる。

ふたつめ、誰かからいただいたものを、同じ流れの中でで社会に還元しなければいけないと焦る必要がなくなる。たとえば何かの教えを受けて、必ずしもそれが次世代や周囲に伝えることができず、自分のところで消えてしまったとしても、自分を責めすぎる必要はない。価値は、消えたのではなく形を変えたのだ。そして自分は実は誰かに全然違う形で伝えている。これは曲解が過ぎるだろうか。

「金は天下の周りもの」や「情けは人のためならず」も近い言葉だが、「Pay it forward / 恩送り」の方が、なぜか時間軸がより曖昧になっている気がする。先の説明と矛盾しているけど、誰かにあげた時点で、同時に全然別の誰か(特定の個人ではないと思う、もっと社会とか世界からもらっている。うーん、つまり「生かされている」という実感、ということだろうか。

そうそう、Pay it forwardと恩送りを同じ意味として並べて書いたが、この2つに含まれている言葉の違いも興味深い。Pay it forwardは、自分が払うところからスタートしているのに対し、恩送りの方は、自分がもらった恩、というところがスタートになっている。