荷物を降ろす

過去数年の手帳の整理をした。整理というか、パラパラとめくって、過去のものから重要だと思う項目を今年の手帳に移す作業をしたのだけれど、以前と較べて、ここ1、2年の私の書くことがものすごく「俗っぽく」なっていることに少しショックを受けた。いや、日々の予定を書くのだから世俗的になるのは当然なのだけれど、それらの奥にある自分にとっての重要事項、大きな目標みたいなものが、どんどん矮小化しているのに気づいたのだった。ここ数カ月の、焦りを伴う息苦しさはここにも原因があったか、と溜息が出た。溜息の内訳は悲しみ半分、ほっとしたのが半分といったところ。

2015年(プライベートで手帳をつけはじめた年)の手帳には、ゴールという文字の下に「美しい絵を描き続ける」と書いてあった。その下にはおそろしくいい加減な人生計画が続くのだけれど、でもこのときの私には人生のゴールは明確だったのだ。ああ、そうか、そうだったんだ、3年前の私は何よりもそこを大事にしていたのだった。ものすごく漠然としているし、どうやって生きていくかの具体的な指針を導き出せない、ある意味で幼稚な目標だけれども、その代わり、今後どう人生が転んでも持ち続けられる目標でもある。貧乏になってちょっと生活が苦しくなっても、それであれば良いと、私は思っていたのだった。そして、今もそう思っている!と気づいたとき、なんだか楽になった気がした。

この3年間、それまであまり縁のなかった教育の世界にちょっと首をつっこんでみて、あまりに優秀な人が多いので、そして、あまりに人格者が多いので、私は彼女たちになんとかついていこうと、そしてなんらかの形で頭角を現そうと必死だった。でも、急な進路の変更は、自分に足りないものをつきつけられる日々でもあり、私は徐々に焦りを感じだした。

もちろん、得るものはすごく大きかった。少しずつ鍛えてもらって、人前で話せるようになってきたし、学生と自然に会話ができるようにもなってきた。少しだけだけれど、論理的に考えたり、論理的な文章を読んだりもできるようになった。何より今まで縁の無かった人とたくさん親しくなれた。間違いなくかけがえのない財産だと思う。私はできることなら、その財産を直接的に仕事に生かしたかった。だって、そうじゃないとこの日々はなんだったんだ、となってしまう。あんなにいっぱいもらったのに、評価もしてもらえたのに、それがどこにも行けないなんて・・・。

今でも、仕事に生かせたらいいな、という気持ちは強く持っている。だけど、じゃあどの分野で生かしたいか、と考えると、ここ数カ月考えてみても、どうしても絞ることができなかった。なんというか、どれも面白いし、勉強したいけど、誰にも負けないレベルで努力できるかというとそんな自信はないのだった。そもそも、誰にも負けないレベルで、なんてことを本当は考えたくない。でも、就職や進学のことを考えると、そういう考え方になってしまう。

そういうことの繰り返しに、少し疲れてしまった。

だからやっぱり画家になる、とかそういうことでもなくて、教育業界から遠ざかる、とかそういうことでもなくて、ちっぽけな我欲とそれを満たそうとして生じるストレスから、少し距離を置かねばならないのだと思う。ここに囚われていると、たぶん私の人生は惨めなことになっていくだろうという、そんな予感がしている。