誰かと住むことについて

ある日、同居人が家を出て別々に暮らしたいと言ってきた。すぐにでも出たいと言われ、答えを迫られたので、3日間ほどで慌てて色々調整して了承したが、向こうからの動き(いついつ引っ越すという知らせ)はまだ無い。私には答えを早く早くと迫ったくせに、わがままな人だなあと思うが、色々と悩んでいるようだし、わがままはお互い様というか、日々の暮らしにおいては私の方が圧倒的にわがままなので、たまにはもう少し待ってみることにする。

1人で暮らしたいという気持ちはまあ分かる。特に家をアトリエとする場合はそうだろう。台所やお風呂など、共有スペースの扱い、一緒にご飯を食べるかどうか、いちいち逡巡するのもいやだというのも、まあ分かる。その上で、私は誰かと住むということはとてもいいことだなあと思っていたので、向こうはそうではなかったのはちょっと残念だ。残念だが、こればっかりは仕方ない。お互いにとってベターな距離でやっていくのが一番だ。

今住んでいる家は窓から見える景色がきれいなのでとても気に入っている。職場まで通勤ルートも過去最高にきれいなので、ここを出なければならないのは残念だが、1人で住むには広すぎるし、家賃も高い。

次はどこに住もうかなあと考えていたら、友人から、ある方が改築したとても良い家があり、住む人を探している・・・という話を聞いた。持ち主の方をご紹介いただき、さっそく見学にうかがったら本当に素敵なところで、各種条件もまるで私のためにあるかのようで、とても心が動いている。(どれくらい素敵かというと、ここに詳細を書くと他の人に取られそうなので書けないほどだ)。

持ち主の方は、住むとか暮らすとか、そういうことについてとても丁寧に、長いスパンで考えられていて、そのことにも感銘を受けた。生きるということは、生活するということ、と書いたのは梨木香歩だけど(『からくりからくさ』)、たぶんこういうことを指していたのだなと思った。