風に向かって歌う

子供の頃、ドライブ中はいつも窓を全開にして、カーステレオから流れる曲に合わせて、顔中に吹きつける強風に向かって歌っていた。

最近は自転車をこぎながら歌っていることが多い。はじめは、冬の自転車通勤があまりに寒いので、つらさを紛らわすためにマフラーの中に顔をうずめて小声でぼそぼそ歌っていたのだが、以来すっかり癖になってしまい、暖かくなった今も続けている。

自転車をこぎながら歌う場合も、風の中で歌うことになる。耳元でボゥボゥ吹いている音や、顔や腕に受ける風圧と、自分の喉や口の中の振動を一緒に感じている。

もしかしたらそのことと関係しているのかもしれないけど、音楽を聴く場合も、私にとっても心地よいのは、その曲だけが単体で聞こえてくる状態ではない。例えば静まり返ったコンサートホールで聴く演奏や、ipodyoutubeをイヤホンで聴くのは、嫌いではないけれどそれほど心躍る体験ではない。それよりも、2階の自室にいるときに父が階下で鳴らすクラシックや、図書館で本を読んでいるときに離れた校舎から聞こえる吹奏楽サークルの演奏、川辺でアカペラ練習をしている人たちの歌声、のような、遠くからかすかに聞こえてくる音楽に耳を澄ませるときが幸せを感じる。

音源と自分の距離と、自分の意志とは関係なくふいに聞こえてくる福音っぽい感じがミソなのかもしれない。また、音楽は耳と脳だけで感じるものではない、ということなのかもしれない。専門外すぎてわからない。

遠くから聞こえる音楽について書いた文章で、とても印象的なのが、村上春樹の『スプートニクの恋人』に出てくる。彼の書いた小説の中で、私はこのシーンが圧倒的に好きだ。夜、どこかから聴こえてくる音楽で目を覚ました主人公が、ギリシャの月夜を彷徨うシーンだ。引用しようかと思ったけど、本を開いたら意外と長かったのでやめておく。